本というメディア

  • 「本」というメディアの権威性

「本」という分野は、知識の伝達を担ったという、過去のとても大きな功績があるわけで、やっぱりどうしても権威的な側面があるように思います。
その界隈の方に「読書に関して、電子デバイスを用いることで、既存の読書体験では得られないものを提供できるのでは?」という話をすると、だいたい「おまえはわかってない」みたいな反応をいただくことが多かったです。実際、当初やってたことは、紙の本の「再現」に拘っているように見えましたし。

  • 中の人との「本」に対する認識の差

ノスタルジーだとか、ただ文字に向き合うストイックさとか、なんか若干マラソンを趣味にしてる人とかの心境に近いものが多分あって、「自転車どうっすか?」「バイクもいいっすよ?」と言っても、「自分の足で行かないと意味ない」って返ってくる感じでしょうか。
趣味で走る人はそれでいいかもしれませんけども、じゃあ日本人全員がマラソンを趣味にするのかといえばそうではないし、今まで移動手段として仕方なく徒歩だった人が、乗り物もあるよと言われたら乗るし、サイクリングやツーリングを趣味にする人だっているよということのように思います。
まぁ、貸し本屋がレンタルビデオ屋にとってかわられたときに、そしてインターネットが普及したときに、とうにそこに気付いてたのに、見て見ないフリしてただけのような気もしますが。それは極論を言えば、ある意味でおばあちゃんが半ば趣味でタバコ屋とか駄菓子屋とか銭湯やっているのと、ほぼ同じことだと思います。

  • 「本」の各種役割

「本」とざっくり言ってしまっていますが、それが雑誌なのか漫画なのか小説なのか、はたまた辞書や写真集、料理本等、租借のポイントが異なるように思います。
提供側は、そのシーンをきちんと想定して、ベストなソリューションで提供できているのでしょうか?
例えばですけれども、料理本ならば、汚れないように防水処理を施してもいいかもしれませんし、本ではなく、作りたい料理の紙ペラ一枚を、冷蔵庫に貼り付ける仕様でもいいかもしれません。
時刻表等は、完全に携帯での検索が有利になってしまいましたね。地図も同様でしょうか。紙よりも、google mapのマイマップデータ等をシェアしてくれた方が、僕はありがたいです。
そういったところを、本当に考えていますか? 本という体裁に拘りすぎてませんか? と思うことは、僕が編プロにいた頃から思っていたことではあります。
 

  • 「本」に関わる人は職人気質が多い気がする

「本」という形式を何故残したいのかというときに、まぁ大きな業界ですし「業界を維持したい」という、営利団体として健全な気持ちと、「でも本というかたちに拘りたい」というある意味相反する感情があるように感じます。後者は、この業界が結構職人気質であるところがポイントのような気がします。
Webの記事は、後修正が簡単にできる分、校正がとても甘いです。まぁでも「巧遅は拙速に如かず」の言葉の通り、速さにかなう価値というのはなかなかないのですが、びっくりするような誤字脱字が当たり前のようにあります。掲載もとても簡単です。
しかし本になると、今の真逆なことが発生するため、そこにはライティングのプロ、編集のプロ、校正のプロ、印刷のプロ、プロモーションのプロなど、いくつもの職人さんが関わってきます。失敗が致命的になる分、彼らはより矜持を持って、職人気質にならざるを得ないところがあると思います。こういったところにも、「誤字だろうが読めればいいじゃん」的なライトな読者層との価値感の開きが出てしまうポイントのように思います。ガチ読者はその一点で興ざめになってしまうこともあるので、切実だったりするのですが。

  • 「本」を続ける意味

主に小説等の話になりますが、文字だけで想像力を喚起するというのは、確かにとても知的で尊い行為ではあります。わかりやすく俗っぽい話をすると、「官能小説」というものが成立するあたりが、人の形而上の素晴らしさでもあると思います。今のポルノに溢れた世界からすると、モノも見ずに文字だけで欲情できるというのは、人の想像力のたくましさと、人間の「状況」だとか「シチュエーション」あるいは「台詞」に対する、フェティッシュ性の現れでもあります。
そのレイヤーを理解する人口が減ってきていることへの危機感もわかります。でも、押し着せはよくない。寧ろ、どう他のメディアを使って、読書の面白さ、素晴らしさに誘引したらいいか、そういったことを模索したらいいのではないかと思います。
まーでも、ロードオブザリングから指輪物語への誘引とかは、割と人を選びますけどね(笑)ミヒャエルエンデのネバーエンディングストーリーとかは、本のギミックの素晴らしさもあるし、映画からの誘引もしやすかったのではないかと思います。最近テレビで流れなくなっちゃいましたが。
あと、国語の授業等で、読書の下地ができていない子に、「ほれ面白いだろ」と読ませても全く伝わらないので、「このときの心情」とかを聞くのではなく、もう少し「何が面白いのか」という視点で工夫したらいいのではないかと思います。まー、教育全般に言えますけれども。

  • どうせなくならない業界じゃないですか

というわけで、くどくど書いてしまいましたけれども、人も企業も、「驕れる者久しからず」です。売れなくなった理由の分析なんて、既に済んでいるのでしょう。基本的に、あの界隈は賢い人々の巣窟ですし。
図書館に新刊おろすのやめるとか、読者側というよりは、業界内の保守層を牽制するために言ったことなのではないかとも思います。
時代が進もうが、この分野が全く無しになるということはないですし。
個人的には、想像力豊かな層が増えていったらいいなと思いますし、「本が売れるから想像力豊かな人が増える」ではなく「想像力豊かな人が増えるから、本が売れる」という思考でいって欲しいなと思います。
って感じ。