夢を見ることと、敗者に対する世論は作る時代じゃないかなーという話

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まー、「サッカーやるだけで稼ぎやがって」みたいなやっかみとか「出る杭は打たれる」と、目立つものを槍玉に挙げて溜飲を下げるのは、確かにいただけないなーとは思う。これは、そういった非難をする側を見たときに。なぜなら、かっこわるいから。やっかまれる側は、多少そういうのがあった方がいいんじゃないかな。傲慢にならないようにということで。

夢を追うということにリスクを伴うというのは、サッカーに限らず現実としてあるので、それはそれとして受け止めるべきだと思う。ミュージシャンだろうが役者だろうが、生活は安定しないし、じゃあ夢を追っているんだからお前ら支援するのかって話だ。そういうもんでもない。既存のルールに則って、夢を描くから認められるわけだ。
こんなにバッシングされたら萎縮して後が続かなくなる! という危惧があるようだけど、その程度で諦める夢ならば、早々に諦めた方がみんな幸せなので、むしろいいかもしれない。
他人にあーだこーだ言われたくらいでくじけるような夢なんて、所詮その程度の夢だし、その程度の覚悟なんだと思う。日本代表の選手も、こんなことでくじけたりはしないと思う。

また、大口を叩いたヤツが非難されるのも、それほどおかしな話ではない。上記の通り、「調子に乗っているんじゃないか?」という危惧があるからだと思う。一方で、その大言壮語は、現実化すれば有言実行になるだけの話。勝ったら「○○が目標は優勝って言ったから、士気が上がった」とかになるわけじゃないですか。結果が全てというのが、プロスポーツの厳しさだし。あんだけ目立つんだからやっかみも当然ある。日本人は本当に目立つヤツが嫌いだからなー。そこは良くないと思うよ俺も。

「夢として現実的な目標を掲げれば、このようなバッシングは起きない」という人もいるだろうけれど、「言ってしまった手前、やらざるを得ない」的に、自らを追い込んでいく手法もまたあるので、その側面から言うと、「期待を裏切られた!」くらいは言ってあげるのが親切だと思う。つまりは、期待していたことの表明であるし、適度の悔しさを与えるからだ。何も言わない、大して期待もせず、訳知り顔でいる人だとか、そもそも興味がない人とかの方が、実際は彼らにとってマイナスのような気がする。暴言を吐いている人は、単にその期待が行き過ぎて感情のコントロールができなかったり、厳しい論調の尻馬に乗っかっているだけなので、気にすることはないというか、こう世論というか、日本人の総体としての、「行き過ぎた非難」「正当な非難」「頑張ったことを認める声」「無関心」のバランスだと思う。多分、「行き過ぎた非難」を潰すよりも、「正当な非難」「頑張ったことを認める声」を発することで、「無関心」を減らしてバランスをとることが、彼らにとってはよりプラスになるような気がする。

それと、現実的な目標を掲げると、その現実的な目標の少し手前で失墜しやすい(現実的な目標に手がかかったときに、5割くらいの勝率に計算してしまう精神状態になったりするという意味で)ということは実際にあって、なので非現実的な高い目標を掲げるというのは、別段悪くはないと思う。つまりは、「それくらいの気概で臨め」っていう鼓舞だし、宣言。ただ、だからと言って、非現実的な夢の決勝戦ばかりにフォーカスした準備をするとかは、もちろんナンセンスだ。
これは、仕事上で出来もしないことを「できます」って言うこととは、根本的に違うことだと思う。冬季オリンピックスティーブン・ブラッドバリーのようなことは、実際に起こるわけで、そういう意味でも「狙っていく」ことが大切だと思う。

そんなわけで、行き過ぎた非難をする人を見たら、「よくやった!」という記事を書けばいいし、なんか全体的に「よくやった!」論調で甘やかしてる感があるなと思ったら、批判的な記事を書けばいいと思う。
大切なことは、その記事が面白くて、サッカーに関心を持つ人が増えることだと思う。
ま、このテキストが面白いかどうかは、また別の話ねw