議員の野次と、その議員を選んだ有権者の話

野次の面白さはわかる。
例えば授業のチャチャ入れは、それが教師を唸らせる内容だったり、生徒を笑わせられるレベルであれば、受け入れられるもので、それができなかったら怒られたり冷笑を受けたりという、本来はリスキーなもののはずなわけだ。
昨今、議員が飛ばす野次は、都議会だろうが、国会だろうが、下の下で面白くもなんともない。しかも、誰が言ったのかわからないように言うなど、卑怯でしかない。
セクハラとか、そういう次元以前に、自分の発言に責任を持たないのは、人としてどうなんだろうか。Web上で匿名でやっているわけでもなくて、自分の名前を出して議員に当選したわけなんだし。

同時に、そういった人物を当選させてしまったことへの責任もまた、有権者は持たねばならんと思う。投票するときに、きちんとその人物を見て投票したのかとか、○○党だからと、党の論理だけで投票してしまわなかったとか。

そして投票所に行かなかった人は、こういった議員が当選するという事態を、消極的に肯定してしまうことに対して、本当にそれでいいのかと、自らに問うて欲しい。「何もしない」ということは、「選択をしなかった」わけじゃない。「何もしないこと」を「選択してしまった」のだ。