政治が何かをダイナミックに改善するということはないという話

キナ臭さ大爆発の昨今、いかがお過ごしでしょうか。
さてさて、ポリティックな問題に対して、「政治を変えよう」というのがあるかと思いますが、僕にはそれが、「よし、北海道から九州まで、歩いて行こう!」って言っているように聞こえます。遠くて遅いんですね。無意味とは言いませんが。飛行機使おうってことを言いたいわけですね。
何でかっていうと、政治ができることって、対症療法だからです。問題の根本は解決できません。「法」とは、いつも後手のものなのです。

  • 政治は後手のもの

そもそもの歴史として、統治がどのように始まったかといえば、農園所持者が略奪に悩まされるなか、そのあがりの一部をくれたら、お前らを守ってやるよと始まったのが、統治の始まり。つまり、最初から、問題解決の手段としての統治だったわけですよね。逆に言えば、問題がなかったら、統治の意味はないということになります。

  • ずっと後手だけだったのか

かつてはもう少し、政治の役割として日本全体をどうするかということを、戦略的に行っていた感がありますが、それはつまり、ある業種を優遇するということにもなってしまいます。悪平等が蔓延りまくっている現在の日本では、もしそれを行うならば、上手く国民をだまくらかしてやるしかないです。現状は、大企業の優秀な社員さんが、上手いことやっているという印象です。ここは、政府がそういった企業を見放すと、企業が自身の利益を守るために、どんどん海外進出して、税収が落ち込み、働き口が減るという事態を招くので(実際そうなってる)、程々に政府も優遇したりしなければならないわけですが。

  • とはいえ、政治に関心は必要

ここまでの記事とか、あるいはとぅぎゃっちのこれとかを見て、だったら大きな枠のことは他人に任せて考えないようにしよう、というのはまた危険です。
法は後手ですが、法には拘束力があります。国や自治体の決定というのは、かなり大きなことです。それに対する監視は必要です。じゃないと、いつの間にか「政治家は世襲制」なんてことになってしまいますし(もう半分くらいなってるけど)西宮ではおかしな議員が誕生するわけです。
結局、人間は堕落するものですし、働きアリの理論で、必ずサボるヤツが出てきます。それはもう、仕方がないことです。
腐敗などといいますが、知り合いが困っていて、便宜を図ったら不正になったとか、実際はそんなことも多々ありますし。

  • ではどうしたらいいか

これはもう、完全に妄想の域なんですけど、折角webという実験場もあるわけですし、仮想でそれこそ、憲法を作るところから、税金、教育など、全てのもので仮想社会を作って、それが現行のものよりも上手くいきそうだ、となったら、思い切ってそれに乗り換える、というやり方が早いように思います。今あるものを変えるには、あまりにもしがらみが複雑に絡み合い過ぎています。あちらを立てればこちらは立ちません。
 
そんなわけで、いずれ夢と希望に溢れた、「俺の考えたすげー日本」みたいなのがまずあって、現実でボコボコになりつつも、「自分達で選び取った責任感」を持った社会に、未来の人が暮らしていけるようになれたらいいねと思いました。