経済の話

僕は経済学者でもなんでもないので、以下は完全に妄言。
ご指摘、ご教授いただきたく。

自由競争においてはとても難しいことのように思うけれども、価格決定について下限を設定するべきではないかと思うことがある。
ホワイトカラーエグゼンプション法人税減税等、企業に有利な法案が通ったとして、そこで浮いた資産は、多分「値下げ」という名の、似非企業努力に費やされ、被雇用者に還元される率は低い。
何故「似非」かといえば、「安ければ買う」などというのは当たり前で、どこまでが消費者の「過剰要求」なのか、どこまでが「妥当な要求か」の線引きを、その業界で立てられていないからです。
僕個人の見解としては、サービス業が「行き届いたサービスとして、過剰にサービスを行った結果、日本人がモンスター化したようにも思っています。「お金払っているんだから、やってくれて当たり前」そんな意識がどこかにあるのではないでしょうか。そしてそういった意識が、他のビジネスにも影響を与えているのではないでしょうか。
過剰要求に応えるべく、「会社が潰れたらみんな路頭に迷うから、デスマーチを一緒に進もう」という発想そのものが終わっている。それって職だとか生活を人質(?)に、強制労働を強いているということと変わらないのではないか。

そういったデスマーチというか、人的資源を使い倒して、なんとかその会社や業態、業界を維持しようというのは、「会社を畳むことの難しさ」と「再雇用の難しさ」、「投入してしまった資源(時間、人、金)への執着」の三点から来る問題のように思う。

まず、会社を畳むことの難しさ。これは、「再起の難しさ」でもある。日本人は真面目なので、その事業がこのままでは危ういと思ったときにとても頑張る。頑張るのはいいけれど、限界や期限を設定せずに頑張る。その結果、負債が膨らんで、結果大きな借金、破産というかたちで終焉を迎える。そうなると、その経営者は社会的な信用を失い、経営者失格の烙印を押されてしまう。最悪の場合首をくくる。それだけの責任を、一人の経営者に被せていいのかと、この激動の時代には思う。風向きがひとつ変わっただけで、会社がいくつも潰れるような昨今だ。サステナビリティ? 事業継続性? それを大型ではない資本でどう実現する? それは多くの場合無理だし、そのリスクを被せておいて、会社に溜め込むなとか、経営者の報酬が高いとかいうのはおかしな話だと思う。資本があれば、それは株を発行して、倒産した際にリスクを被る対象を増やすことで、自らを人質にできて、倒産も「会社更生法」で軟着陸するかもしれないが、そうでない人は?
ということで、まず必要なのは会社をソフトランディングさせるための機関(保険会社でもその会社に貸し付けてる銀行でもコンサルでもなんでもいいんだけど)と、そのソフトランディングさせるための資金(共同出資でも、税金でもなんでもいい)なのではないかな。
要は、会社を作りやすく、畳みやすい仕組みがない限り、「新たな雇用」の問題を含め、日本でのビジネスが大手志向になってしまうということ。冒険ができなくなり、新しいものが生まれにくくなってしまうということ。
逆説的に、現状のクソシステムの中で新たなチャレンジをされている方々は、本当に偉いと思う。

次に再雇用の難しさ。
僕は割と職を転々としてますが、専門的な知識だとか、そういうものが必要な仕事ってものすごく少ないです。
役人だとか、あとNTTの職員だとか、三年に一度くらいのペースで大きな配置換えを行いますが、それでも会社が上手く成り立っているというのは、つまり世の中の仕事の殆どが、専門性を要求されないということです。
専門性を要求されないのに、何故人を選ぶのかというと、単純に高望みです。どの会社も、「いい人が欲しい」と言いますが、そのポジション、本当に「いい人」が必要なのでしょうか。そして、何故面接する人の大半は、その「いい人」に該当しないという判断が下るのでしょうか。
僕は、それは雇用者(というか人事部)と被雇用者(というか被雇用者のパーソナリティを担ってきた教育とか)両者に問題があるように思います。
企業が若い優秀な人材を欲しがる背景には、自社で抱える人材の不良在庫の問題があるように思います。以前いた会社は、社員よりも役員、顧問の方が多いという、かなりアレな状態でした。そういった方々の生活を守るという点では素晴らしいですが、支給金額を聞くとげんなりします。
能力的に見れば、体力の20代、30代があって、経験の40代、50代があり、そのくらいまではいけるとしても、その先は厳しいです。でも、年金の支給がズレる等となれば、どうしたって会社にいさせてくれという話になります。となれば、社会で起こっていることの縮図が、社内でも発生するということです。
更に言ってしまえば、会社によっては、30代での会社の貢献度と、50代の会社への貢献度、前者の方が高かったりすることもありえない話ではないです。肉体労働では、その可能性が高いのではないでしょうか。
そうした、プチ社会、プチ家族としての企業体というのは、つまり倒産が許されません。人生設計の中に、会社の継続性が盛り込まれているということです。それでいいのかという話。年金問題なんて言われていますけれども、では大きな会社にいて企業年金貰う人々と、大きな会社にいたけれど、会社が倒産して貰えなかった人がフェアかと言えば、それは違うはずです。
話が脱線しつつ、会社の畳み辛さの一端にも触れましたが、「何かあったときに対応できる優秀な社員」を要求しがちだということです。上から目線で恐縮ですけれど、実際に優秀な人を雇うと、自分の問題点を指摘されて煙たい思いをすることが殆どなので、身の丈に合った人材選びが妥当なように思います。
ざっくり言ってしまうと、「うち、偏差値50だけど、転校生に要求するのは65以上だわ」って話。そうでない会社ももちろんあるけど、頭脳でなく、人間偏差値として50の人と65の人が現れた場合、だいたい65を採用して、人材相場がつりあがっているということですね。供給過多なので。
で、需要であるところの雇用側に余裕がなくて、なんとなくよさげな人材を投入すれば事態が改善するんじゃないかという、ざっくりとした頭を持ちつつ、いざそういった人材が提案すると、リスクにビビって煙たがるという悪循環がありますし、かといって新たな会社が立ち上がるには、今の風が吹けば会社が潰れる社会では難しいというのが現状のように感じます。
中途採用に関して、それまで他社でノウハウや知識を培ってこなかったとしたら、「そいつが悪い!」と責められたりしますが、みんながみんなそんな労働を強いられるべきなのでしょうか?
だとするならば、その事実を義務教育までに周知すべきだし、「学校は職業訓練所ではない」とカッコよく言うのもいいですけれど、ではどこが「職業訓練所」を担うのか? ということになりますよね。今って、それが風が吹いて潰れる会社が担ってるんじゃないかって思いますよ。僕もそんな感じでしたし。
なんかまとまらなくなっちゃったけど、
・雇用側は漠然とした未来志向で、若く優秀な人材を求めてしまう
・そもそもの働き口が少ない
・例えば、50代での中途採用(キャリア無し)についての考慮が、社会システムとして考慮されておらず、いまだに終身雇用脳のところが多い
・働く、再雇用される、に際してというか、「労働」「生活」で何が必須となるか、武器となるのか、「職業訓練」「生活訓練」の過程が、人生で必須にも関わらず教育に盛り込まれていない
って感じですね。
僕は「じゃあ50代雇ったら補助金出すよ」みたいなシステムは好きじゃないし、「70代でも働ける人は働けばいいじゃん。なんだよ年金って。今払ってる世代がもらえないってわかっていながら貰うの? 甘え?」って思ってますけどね。

投入してしまった資源への執着。
これは簡単ですね。「あの事業にはあれだけつぎ込んだんだから、なんとしても成功させなければならない」という、ギャンブルで絶対に大負けする人のあの発想です。多かれ少なかれ、持っている人が多いように思います。
会社が破綻しない範囲だとか、それが何か新しいものを生み出すのであれば、多少は許される部分ではあるのでしょうけれども。

もし会社を簡単に畳めて、再雇用もしやすく、事業に執着しないのであれば、多分簡単に「辞めます」と言える社会が来るように思う。被雇用者、経営者、両者のリスクが軽減される、と言えばいいだろうか。
そうすれば、仕事のやり方、内容を選べることに繋がると思う。同時に、供給側と要求側で、どちらが我侭を言っているのかのジャッジも、必要となってくるように思うが。
記事は見ていないけれども、竹中氏が「正社員をなくそう」と言ったのも、労働の格差を正社員側で揃えることは無理なので、非正規雇用というかたちでそろえた上で、各々が会社と契約していくという、野球選手のようなスタイルがフェアだという内容だったのではないかと思う。そりゃ既得権益(正社員)の人からしたら、非難の的になるわなぁ。でも、それもひとつの考え方だ。ただ、「自分を売り込むための宣伝コスト」が発生する可能性はあるだろう。
とはいえ、「仕事はあるけれども誰もやりたがらない」だとか、「法スレスレの仕事」というのは、そういった市場では浮くと思うし、そういった仕事はなくならないと思う。外国人で賄うのも、難しいのではなかろうかと思う。

「自由競争」の原則からすれば、売価は下げ放題だし、価格協定(カルテルだよね)は独占禁止法で禁止されている。でも、実はこれが、経済において全てを苦しめている原因なのではないかと、僕は見ている。賃金が上がらない、長時間労働といった理由は、賃金財源の問題と、企業が潰れるという不安感ではなかろうか。

人口減少が決まっている世の中、生活必需品が既に供給過多の時代で、あらゆる業態がファッションというか、流行を起こして購買を誘うという方向にシフトしているように思う。ただ、ファッション業界程、その流行の機運を生み出すシステムが成熟もしていなければ、循環性もない。「新しいもの」を求めてあっぷあっぷしているが、リスクはとりたくない。デッドロックを解く鍵は多分、いろんなところに散らばっているが、その鍵を拾うだけの力(資本や権限)がないか、あるいは鍵を回す勇気がないというのが現状だと思う。
手始めに、とりあえず「お客様」を甘やかさず(甘やかすのもサービス過剰にすることで仕事を増やした結果という側面もあるかもしれないですが)、きっちりいただいた売り上げを、社員の給料に還元していければいいのかなと思います。

あ、余談ですけど、賃金が増えれば子供を生みやすい環境になるのでは〜みたいな話がありましたけど、僕は養育費の大半を国が負担すればいいんじゃないかって思いますよ。現金じゃなく、学費にしか使えないクーポンとかで。
なんか今の世が、子供が「ぜいたく品」みたいになっていて、とっても気持ち悪いです。