小、中、高の12年間の学習について

知り合いに、勉強で若干躓いている中学生がいて、なんとかしてあげられたらなーと思っているところで、これ読みました。
http://blog.livedoor.jp/ganbare_zinrui/archives/12355210.html
以前別の子に、大学受験勉強をするにあたって、どうしたらいいですかというような相談があった際に、「時間があるなら、受験科目を中学くらいにまで遡って、その頃の問題を順番に解いていくと、一度やったところなので解ければ自信がつくし、解けなければ、そこを補強してからその大学の出題傾向に合った学習をすればいい」というアドバイスをしたことがあったのですが、まーそういうことですよね。英語、数学に関しては、過去の習得内容を使って、その先を解いていくので、ひとつそれが抜けると終わってしまいます。僕は、後チェックでできていないものが判明するというのも変だと思っていて、予め、例えば学期毎の、学習項目を伝えておいて、それがクリアになっているかなっていないのかを判別するための小テストということでいいと思います。
更に、その小テストで引っかかった場合に、誤解のパターンのどれに当てはまるのか、その誤解に陥らないためには、どんな気づきが必要なのか、経験とか曖昧なものではなく、こういうことを集合知で解決していけば、時間も短縮できるだろうし、その分、他のことの指導、学習に時間を割けるように思います。

  • 「文系」「理系」はおかしい

僕もあまり好きではないですが、「文系」「理系」という言葉があります。つまり、日本における高校教育は、半分の教科の知識を捨てること前提で、カリキュラムが組まれているということになりはしないかと、そう思うわけです。僕自身も、受験科目に絞って勉強しましたし。
受験制度のいけないところは多々ありますが、まずもってコレですね。

  • 小・中・高の、生活リズムモデルって考えてるの?

よく、勉強に専念する人が、一日の時間の使い方を考えていたりしますが、そのモデル的なものが存在しません。コレを作るとこは、だいたい既にヤバくなってから、逆算して計画を立てているパターンです。そうではなくて、平均的な地頭の人間が、では一日何時間机に向かうのか、週何時間遊んでいいのか、そういうのがあって然るべきだと思うのですが、いつも見せられるのは、「早く勉強を始めれば、一日勉強する時間が少なくて済む」という、保険の支払い金額表みたいな図ばかり。そうじゃなくて、学校以外での家庭学習の時間を、週換算で何時間必要だと見越しているの? ということが大事なわけですよ。平均値は、ベネッセとかが出しているんですが、知りたいのは「本当に必要な時間数」です。
http://berd.benesse.jp/berd/berd2010/center_report/data05.html

  • 必要時間がわかることでできる選択

これがわかると何ができるかというと、「何を捨てるか」の選択ができるということです。部活をやるならば学力を捨てることになるのか、遊ぶ時間を捨てればいいのか、テレビを見る時間なのか、友達とLINEする時間なのか、はたまた睡眠時間なのか、そういう24時間の使い方の選択が、実は学生時代こそ、プロスポーツ選手並に問われているように思います。若いときの時間は、学習に限らず、あらゆる面で貴重です。何故ならば、「若いときにしか与えられない機会」というものが、確実に、複数存在するからです。そのことに対して、皆無自覚過ぎると思います。

  • そもそも、学習に最適化された指導要領なのか

学校は勉強だけをするところではないといいつつも、勉強することに変わりはありません。ならば、個人で学ぶよりも効率よく、効果的である必要があるかと思うのですが、正直、そうは思いません。伝聞に過ぎませんが、僕らが学生だった頃と、あまり変わらない指導を受けているように思います。社会がこれだけ大きく変化し、例えば部活の指導の仕方も変わったりしているにも関わらず、です。塾が存在するのは、個人にあった学習、という以前に、時代に即して指導の方法を変えてきたから、なのではないかとも思います。

  • 学習のモチベーションを上げる施策は?

ひとつには、必要なシチュエーションをシミュレートしてあげることだと思います。例えば歴史と英語ならば、外国の日本マニアが、日本の歴史について根掘り葉掘り聞くというシチュエーションを想定するだとか、確率ならば、じゃんけんで最初に出すのが本当に1/3ずつきっちり分かれるのかの統計をとってみようとか、そういうのがあっていいのではないかと思うわけです。明日すぐに役立つかもしれないもの。どなたかが、日本のゲームは、努力と報酬がわかりやすく直結しているので、子供がハマると言っていましたが、それを使うというのがあるかと思います。
「それがテストという場なのではないか?」という人もいるかもしれませんが、それは多くの生徒にとってはNOだと思います。例えば部活の筋肉トレーニングに対する、それが実を結ぶ場としての大会と、テストとの間には、大きな違いがあるように思います。つまり、「テスト」という大人がやれと言っているゲームが、殆どの子供にとって、クソつまらないということです。テストはあくまでもテスト、筋トレにおける、年に一度の体力測定の場であればいいわけであって、体力測定のためだけに筋トレなんかしたくねーというのが殆どなのではないでしょうか。ということでの、実践の場が欲しいという話。
もちろん、実学だけ学べばいいというわけではないので、コンテンツとして知識を身につけるということは、もう一方でやるべきだと思います。別に、ゲーム、マンガから学んだから劣っているだとか、そういうことはないし、そもそも塾の古文の先生が、「まず大和和紀の『あさきゆめみし』を読んで内容覚えろ」って昔から言ってるのも、つまりは既存の教科書で不足しているものがあることを、語っているように思います。つまり教科書の内容は、もっと面白くできるということ。

  • 最後に

とまぁ、素人が考えても、これだけでてくるくらい「学校での学習体験」に改善の余地がありまくりだと思いますが、現状、その状況を生きている皆さんに置かれましては、その部分をいかに学校外の時間で補填するかだと思います。ひとつ言えるのは、どうせ学校の内容を復習するのならば、やるところを予習しといて、授業で指されても答えられるようにすると、ストレスが軽減するんじゃないかなということですね。あれだけ億劫だった、学校で習ったことを、大人になってコンテンツとして見ると、とても楽しく見られるというのは、やっぱりよくないと思うんですよねー。