編プロを辞めたタイミングで新條まゆさんのブログを見た

これがそのブログ
これについてついったーでつぶやいたことをまとめてみました。
(なぜかじゅげむでは禁止語句があると言われたので、こっちで書いてしまいます)

<以下僕がつぶやいた内容>

新條まゆさん偉いなぁ。

例えば「大企業の営業」とかでもあると思うんだが、誰かからシステム上ちやほやされる立場にあると、誤解してしまう人は出てくるんだよね。

それを、きちんと全員が「いや、それは違います」って言わないと、「あっちはこうしてくれたのに」ってなっちゃう。

そして一方で、編集でも営業でも、例えば作業者とクライアント、作家と編集長という板ばさみで、いろいろとストレスがたまることもあるし、そもそものセンスが異なることでの摩擦もある。

また、狭い世界にいると、どんどん「常識」がずれてしまうのもよくわかるなぁ。同じ人としかやり取りしないのは楽かもしれんが、やっぱり風通しはよくしないといけない。

特に、金額に現れない報酬や待遇、条件ってのは実は大きくて、漫画家さんに限らず、その辺をないがしろにしてきた反動が今出てきているわけですね。価値観の変化に慣習がついていかないのはどこでも出ていると思う。

ちょっと極論を言えば、「法の改正」ってのがそうで、これまでは倫理的に、あるいは暗黙のうちに「それはやらない」「やってはいけない」というものが崩れたとき、それを法で規制する必要が出てくる。それと似たような感じ。

確かにね、編集がライターやデザイナーに三行半つきつけられたとあっては、今後のことに支障がでるとか、風評的にとか、いろいろ思うところはあるとは思うし、そうなって焦っているのは実は編集も同じなんだよね。

ファンのいる作家さん、今ではこうやってネットでも発言ができちゃうし。http://tinyurl.com/64qhfx

敵にまわせば脅威以外の何者でもないし、せめて身内(契約関係)ならば、内々のことですからで済む。

でもって、編集でのぼってった人ってのは、割とプレッシャーの与え方の上手さで上がっていった人というのもあるので、編集のプロから本気でプレッシャーかけられるのはキツいよ。

それと、「びびらせればおとなしくなる」とか「作家をつけあがらせてはいけない」というような意識やおごり、プライドなんかもあるんだと思うな。

逆に僕なんかは、どうしても作り手側に寄ってしまうので、「誰から金が出てると思ってるんだ」とか言われたりしますが(=w=)それはそれで問題ですね。

新條さんとこの編集さんの「水は低いところに〜」ってのは、甘えさせないための意識操作なんだと思う。許しちゃうと逆にダメにしてしまうケースとかあるからね。編集はまず自分の目を鍛え、信じて、甘えさせず作り手から120%を引き出さないと。

っていうのを年上相手にやるのが面倒だったよ前の仕事w「すみません、ここをこんな感じでもう一案くれませんか?」って。おっさんたちは、ディレクションを「お前がこう言ったから」という言い訳にしたがってる節もあったがww

情熱を傾けただけの見返りって欲しいよなぁ。それって別に欲張りなことじゃないと思うし。ある人はそれは金でいいだろうし、ある人はそれは話を聞いてくれる時間かもしれないし、そういうのって一律にできないけどね。

マニュアル化社会ってのは、つまりKY社会ってことだろ。

空気を読まなくても怒られないように、精神ではなく所作を規定する。

そういった基準を築いてしまっているなかで、一人一人にあった何かを持ってくるというのは難しいし、逆に空気を敢えて読まないことで、スムーズに進んでいる部分があることも事実。

矛盾しているかのように思えるかもしれんけど、画一的な村社会のような価値観統一を行うのも違うと思うし。クリエイティブな世界で、ある種寛容さを切らねばならない部分が出たとき、やっぱり凄く難しいんだと思う。

なんかこの辺、結婚とかにも似ているのかもしれない。したことないからわからないけどw

とまぁ、仕事を辞めたタイミングで新條まゆさんの記事をみてついかっとなってつぶやいてみた。後悔はしていない。公開はしている。


<これに対する反応など>

hms_ulysses:ま、出版系はね「その部門は編集長のもの」っていう意識はあるけど、普通の会社って上との軋轢がいろいろあるんだろうなあとか

俺:編集長のものというわけじゃないよ。「だったら全部あんたがディレクションすれば」になっちゃう。方針を打ち出して、誰が何をしたいのかを汲み取って、そこで始めて編集の精神というのは発揮されるわけさ


fortune_faded:とくに意識の問題で、自分のいる環境ってのを他と比べる余裕がなかったりすると、どんどんズレていく。

俺:情報の交換とかかなり重要。特に組合とかない職業は保障が少ないからね。元気なうち、若いうちはいいかもしれんけど、じゃあその先とかって、どれだけ出版社等が保障してくれんだとかもある

(補足:ちょうど前の職場のライターさんが悪性腫瘍で入院して2kg切除したということがありました)


keis:漫画であれデザインであれアートであれ、美的・クリエイティブ的なものの財産価値ってこと低いなってつくづく感じるのですよね

俺:それはきちんとマネジメントしないからです(=w=)何か特殊な計算で成り立っているように、あの業界の人みんなが思っている。マネジメントするには、やっぱりきちんと成功実績を出していかねばならんのだけど。

俺:でも、モチベーションって目に見えないから、そういったものを評価したり、ノウハウを共有したりとかって、マニュアル化できないこともあって難しいんだよね。


<結婚と似ているかもというあたりから>

俺:いつもニコニコだけしていればいい関係じゃないからね。どっちもw

fortune_faded:お互いにニコニコを保っていられるようにする姿勢ってのを忘れるとズレていくよね。

俺:それだけじゃなくて、家族になるってことは、ときに相手の軌道修正もしたりしなくちゃならんので、その辺、きちんと正面からボールをパスし合わないといけないし。

俺:また、例えば靴下を洗濯籠の中に何度言っても入れないとか、そんな些細なことが鬱積して、すれ違ってしまうケースもある。ああ、なんか本当に似てるなぁ。

fortune_faded:うんうん。だからお互いが居心地よい関係にする為の姿勢っていうのかなぁ。間違っていると思う事とかを強制しようと押し付けるのではなく、理解してもらえるように伝える、とか。でも根本的な価値観が違うとバトルになるよね。

俺:うむ。例えば正しいことを伝えるために、敢えて間違ったことを言ってその間違いに気づかせるとか、理解のさせ方というのがあるよね。正しいことを主張して論破しても、結局自己満足にしかならなかったりw

fortune_faded:些細なコトの積み重ねでウンザリしたり、働きたいと何度も伝えてるのに、オマエは無能だから家事さえしていればいいのだ、と押し付けられたりね。

俺:うむうむ。家にいて暇しているのが好きな人もいれば、バリバリ働きたい人もいるし、またそういう意識ってのは変わるし、人と向き合うのに楽をしようとしてはいけないときがあるね。

fortune_faded:そういうのって、どんなに努力してもダメな事があったりするんだよね。自分だけの「正しさ」という考えに囚われちゃってると相手を受け入れる隙間さえない。だから摩擦を出来るだけ減らす為に「価値観が合う人」と結婚したいって風潮になるなんだろうなぁ。

fortune_faded:相手をコントロールしようとするのは傲慢だからね。まぁコントロールされないと何もできません、っていう相手ならいいんだろうけど。

俺:ある種嘗ての価値観ってのは、敢えて女性に「コントロールされるべきもの」という価値観を植え付けることで、まわっていた部分もあったわけだけど、それは前時代的過ぎると思うなぁ。

俺:そこを「じゃあ何がしたい?」って考えさせて、自分に気づいていかせるというのも、ある種傲慢かもしれないwww これも上から目線な感じだしw でも、そういう「お姫様」を求める感覚は理解できなくはないw

俺:あと、征服欲というのはどうしても出てしまうんだろうなと思ったw とはいえ、相手も人間だし、結婚とか一人でするもんじゃないからね。

fortune_faded:前時代的ではあるけれど、そういう環境で育ってきた人というのは、「それは前時代的な考えである」とわかっていても、頭の片隅にその考えが植え付けられてたりする。

俺:うん、それに周囲が「そうあるべき」と言っているのだから、特に強い自意識や独立心がなければ、そこに従ってしまうし、そうあるべきだと思い込もうとするだろうなぁ

fortune_faded:コントロールしたいってのは誰もが持ってるんじゃないかなぁ。ただ押し付ける形が良くないだけで。奇麗な言葉で言うと、お互いに相手を思いやる気持ちを忘れないでいましょうねっていうのかな。でもお互いに相手の企業に就職したって考えた方がスムーズ。

俺:上手いヤツは相手にコントロールしていると悟らせないとか、そういう技術的な部分もあるんだろうなと思う。それがいわゆる営業トークでもあるんだが。

fortune_faded:うんうん。今は「すり合わせの時代」だっけ?そんな記事読んだw 営業トークもね、胡散臭く感じさせなければ有効だし。基本的にお互いの利益の為の努力ってのは大切。

俺:お互いに相手を立てるような、一定のバランスを保ち続けて、というのは理想だよね。それでいい結果が出せればいいし。でも、バランスってホント難しい。もう頭の片隅に「せっかくやってやったのに」が出てくるとつらい。

fortune_faded:ギブ&テイクってのも良いんだけどね。だけど与え続けてるのに返してもらえないってのは気持ちの問題だからややこしいんだよにゃー。

俺:そういう意味では、人間の価値って、案外とても些細なところに詰まっているのかもしれないなとも思うし、ときにそういうのは面倒だなと思うことも正直あるw

fortune_faded:ギブ&テイクってのは結局期待があるからだよね。その期待権というものは誰しもが持ってると思うけれど、相手に義務があるかというと、そうではない。どの辺りに期待してるのか(方向)がズレていると「価値観が違う」という事に。

俺:貰ったものをどう感じるかなんて、あげた方は計ることできないけど、あげた方は確かに対価を払ったわけだよね。この部分が、「価値観が違うとキツい」要因だと思う。あと見えないところで努力されちゃうと知りようが無い(><

俺:僕の妹は、この「ギブ&テイク」の強要が強くて、よく家族とぶつかっていた。「なんでわかってくれないの」という、説明を放棄した態度は、結局甘えなんだよね。

fortune_faded:感情には感情で返すしかないのかなー。機械的に処理しようとすると「キツいね」「ドライだね」とか言われたり。家族という世界では甘え合うってのもある意味必要な場所、というか、逃げ場として必要だったりもするんだよね。

俺:それも場合によりけりで、まぁ感情を返せばとりあえずはいいだろうけれど。でも自分の枠ってのはあるからなぁ。ある程度は「こういう人間です」という部分を受け入れてもらわないと。

俺:あとは、プレゼンテーションの仕方として、「こんだけやったんだからこんだけ寄越せ」ではなく、「気がついたのでついでにこちらもやっておきました!」の方が、結果様々な点で得をするわなぁ。

俺:それと、ときに家族には甘えてもいいんだけど、何で怒っているのかわからないとかだと、だんだん「面倒だなアイツ」とかになってしまう。

fortune_faded:プレゼンテーションの仕方で相手の心証はかなり違うからね!騙しさえしなければいい。

俺:そうそう、結果的に相手や自分が傷つくような方法は意味がないからねw 意思は伝わってなんぼだし、意図は反映されてなんぼ。

fortune_faded:だんだん面倒になるのはわかるw 家族間でもそういうのは多々あるからね。でもそういう中で、どうれだけバランスを保っていけるかってのはお互いの許容心にかかってきちゃってる。

俺:余裕を持っているときは許せるけど、ということはあるよなぁ。でも、相手のコンディションなんていちいちはかってられないし、こっちだって余裕がないときもある。だからそういうときのルールとかを決めるといいかも。

俺:ルールというとシステマチックだけど、例えば会社で嫌なことがあったときはちゃんと言ってくれとか、そういう話。

fortune_faded:言葉の使い方では傷つけたりするからねー。でも黙ってるのも問題が増えるだけだし。生産性というか、そういう方向を見る余裕がないと感情の投げ合いになって混沌としだす。

俺:冷静に問題を話し合う習慣ってのはいいかも。家族会議的な。一定のルールに基づく話し合いの習慣。

fortune_faded:うんうん。でも「ちゃんと言ってくれ」と言われたからちゃんと言ったら「空気読めないヤツだ」だと言われたりするんだよねw 逆に空気読み過ぎて抱え込んじゃう人もいる。そこんとこ、微妙。微妙だからスレ違って行くのかな。

俺:それが「感覚の違い」ってやつだろうな。その辺のバランス感覚って、経験しかないよね。あるいはときに、「空気読めない」といわれても、結果言った方がよかったということもあるだろうし。

fortune_faded:冷静に話し合えるといいんだけどねー。家族ってその中でバランスを取りたがる傾向があったりするからにゃー。誰かが声高に叫ぶと「それは違うと思う」という人が出て「まぁまぁ落ち着いて」という流れが。

俺:そうなると、そこでの議論作法が身につく。その場で何をどう言えばいいのかとか。二人でぶつけ合うよりは理路整然とするかなぁ。誰かに経緯を説明するというのは結構大事。再確認のためにも。

fortune_faded:コミュニケーション能力ってのがねー。あと性格もあるしね。言葉を上手く使える人と、そうじゃない人の差ってのもある。

俺:お袋は逆に俺がいろいろ主張すると、どんだけ理屈が通っていようが「またそうやって煙に巻いて」的な反応をするw コミュニケーション能力ってのは、適度に負けてやる能力だと思ったりw 言葉もあるけどねw

fortune_faded:家族とか恋人関係って、そこに独特の世界が生まれるからね。風を通す事は必要だよにゃー。

俺:そうそう、家族的なローカルルールと、世間一般のルールを平行させて、どっちの土俵で話し合っているのかわからなくなるところから齟齬って生まれると思う。

fortune_faded:「適度に負けてやる能力」かw そこに許容できる心持ちがあるからこそだよね。

俺:勝っちゃっても案外いいことないしねw 恩を売って負けるのが一番賢いww

fortune_faded:うんうん。土俵が違ってる事を気付かぬままに話し合ってるとズレつづけるー。

俺:自分の言葉に屁理屈があるというのを気づくタイミングがあればいいわけで、それはやっぱり第三者に聞いてもらうのが良いですね。

fortune_faded:鈍感なフリってのは大切!特に「これは生産性がない」と気付いた時には許せる範囲での譲歩っていうのかなぁ。お互いに歩みよりたいんだけどね。相手が一歩も動かない場合は、自分が動くしかない。

俺:「しなくちゃいけない面倒な話し合い」もあれば「してはいけない話し合い」もあるわけでw そういうのに気づいたら、上手く収束させることに心を砕くといいよねw

fortune_faded:家族といえども個の集まりだからね。集団で居心地よく住むには心構えが必要だよね。ちょっとした妥協もしなくてはいけない。そして妥協する余裕を持て合える環境にもしないと息つまる。

俺:一緒に住むのに息が詰まるとか損だもんね。みんなが少しずつ努力できればいいなぁ。